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カテゴリ:歳時記・光の言霊( 39 )

 今夜はひさびさにカフェテラスの更新です(#^.^#)。

 ネタとしては少しベタですが、藤原の道長と満月の話題(^^;。

 平成30年11月23日の夜は、かの藤原道長が「望月の歌」を詠んでから、ちょうど1000年目の満月なのだそうです・・・。
「望月の歌」とは、タイトルにもそのまま使いましたが、
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば・・・」
(この世は自分のためにあるようなものだ。満月のように足りないものは何もないと思えるから・・・)

 と、道長がわが身の栄華と幸せを詠んだ歌なんですなあ。
一部には傲慢と評する向きもあるようですが、なぜこんな歌を詠んだかは、まあ、こちらでもご覧ください
 
 その日から1000年がたったからと言って、僕に何の関係もある訳ではないのですが、その日の夜はさすがに綺麗な満月でした(#^.^#)。
夜半に「快晴」、というのも変な表現ですが、たしかに雲一つない夜空。
澄み切った夜空に月がこうこうと輝いておりました。こりゃあ確かにキレイだああ。狼男なら気持ち良く変身できるでしょう。

 もし1000年前もこんな綺麗な満月だったとしたら、道長さんも調子に乗って、あんな歌を詠んじゃった心情は理解できます(笑)。こっちのほうが傲慢か・・・・(^^;。

 まあそこでいつも通りカメラを持ち出して、とりあえずパチリ。
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今まで撮った満月の中でも限りなくフルムーンに近い満月なのではないでしょうか?

 もう少しアップでもう一枚。
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 いつもながら最近のカメラは本当にすごいと思います。
ベランダの手すりを支えにしたとは言え、手撮りでこれだけの写真が撮れるのです。

 最近4K動画とかもyoutubeでアップされるようになってきて、紅葉の景色とかを見ていると、本当にキレイですよね。
多少デジタルで加飾されていて、もう肉眼で見るよりキレイかもしれません。もうわざわざ旅行する必要ないかなあ、と感じてしまいます(嘘です)。

 さて、1000年の話に戻りましょう。
そこそこ古典好きの僕としては、時空を超えて藤原道長公や清少納言、兼好法師などなど、古の天才たちが見た月の風情を「思ひつつ」、今日の話を終わりたいと思います。

 


by 11846182 | 2018-11-25 23:41 | 歳時記・光の言霊

 「いつの間にか秋もずいぶんと深くなって、夜などは、もう肌寒く感じるようになりました・・・。こんばんは。落合〇子です・・・。」

というフレーズを、彼女独特のリズムで読める方は、そこそこの年配とお見受け致します‥‥(;^_^。

 と、またまたどうでもいい「つかみ」で始まった久々のカフェテラスですが、そういう訳で、今夜のネタは中秋の名月・・・・。

まずは、せっかくなので写真をパチリ。
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 どうでしょう?とりあえず、劇的に月の写真が進化しているのはご覧頂けるでしょうか?
まるで、教科書に載っているような写真ですが、間違いなく、ついさっき自分で撮ったものです。

 ちなみに、2011年9月12日(この時は中秋の名月は9月でした・・・。)に撮った写真がこちら。
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 これでも、キャノン製の一眼レフに、300㎜の望遠を付けて、ISOもちゃんといろいろ設定して、
「やったー!きれいに撮れたー!」って感じでブログにアップした写真です・・・。

 こちらは、その3年後の写真・・・。

 そして、今回の写真は、ニコン製とは言え、廉価版のコンパクトデジカメに分類されるクールピクスB500で、なんの設定もせずにカメラまかせで撮ったもの(;´・ω・)。

スゲー!

 iPhoneを見ていても、つくづく思うのですが、現代のデジタル技術の性能のインフレーションは、もう驚きを通り越して脅威として感じる時があります(;^_^A。

 僕は昭和30年代生まれで、大昔の天文ファンで、小さな望遠鏡に、フィルムを増感(この言葉も死語になりましたねえ。)して、白黒の天文写真を自分で現像焼き付けして撮っていた世代です。そのころの苦労話なんて、今のスマホ世代に伝わらないですよねー・・・(;^_^。もはや笑い話・・・。
 僕たちが小さいころ、耳にタコができるくらい聞かされた戦争の話と同じでしょうねー。「あー、ハイハイ」って感じ・・・。

 物事が、何でも簡単になって性能が上がって、それはそれは素晴らしい事なのですが、でもその裏では実はICチップとソフトウェアがものすごく働いている訳です。
でもソフトウェアは目に見えない、紙にも書いてないものなのですよねー。だからデジタル情報は、ある日突然消えることもある訳です。

 見えないソフトウェアが裏支えしている世界で、ソフトウェアがもし消えたら・・・、という不安を感じるのは、僕のただの杞憂でしょうか・・・?
またまたヒネたオチになってしまいました・・・・(;^_^A。

 ついでですが、今年の中秋の名月・・・、満月じゃなくて少しいびつに欠けている気がしません?(以前の2枚と比べてもあきらかに欠けてます。)
それに9月じゃなくて、10月ってのはどうよ・・・?

てな疑問も調べてみたらすぐ解決しました。それはコチラをご覧ください
やっぱりネットは便利です(;^ω^)。
 




by 11846182 | 2017-10-05 00:20 | 歳時記・光の言霊

 雨の季節になりました。ちまたの噂ではもうじき梅雨に入るとか入らないとか・・・。

 以前、ブログにも書いたことがありますが、僕は雨がわりと好きです。(外で仕事をされている方、単車などで通勤をされている方、本当にごめんなさいm(__)m)
土砂降りは困りものですが、朝起きたとき、シトシトと雨の音がすると、その他の喧騒が消されて、なんかホッとする気がします・・・。
今夜はそんな雨のネタです・・・。

 つい数日前、夜半から、突然の雷雨が大阪を襲いました。
この雨は、シトシトなんて生易しいものではなく、どちらかと言うと困りもののタイプの雨でしたが、いわゆる現代のゲリラ豪雨とは感じが違い、不思議な感覚の初夏の突然の嵐でした・・・。
 
 ちょうど近所に食事に出た帰りだったので、光る稲光と雷鳴に、半分怖がりながら、半分楽しみながら、かつびしょ濡れになりながら、ほうほうのていで家に逃げ帰りました(^^;。そして、同時に、つい先日教えてもらった、ある和歌を思い出しました。

「鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り
雨も降らぬか 君を留めむ」

これは、「万葉集」に載っている、作者未詳の歌です。(万葉集 巻11-2513・柿本人麻呂歌集)

「雷が少し鳴っています 。雲が広がり 雨が降ってくれたら
帰ろうとしているあなたを、きっと引き止められるのに・・・。」

帰ろうとしている恋人に、帰らないで欲しいと呼びかける歌です。

そして、この呼びかけに対して、恋人は返歌を送ります。

返歌
「鳴る神の 少し響(とよ)みて 降らずとも
我(わ)は留まらむ 妹(いも)し留めば」


やはり作者未詳(万葉集 巻11-2514・柿本人麻呂歌集)です。

「雷が鳴らなくても 雨が降らなくても、
君が引き止めてくれるなら 僕はここにいるよ。」

優しく、こう返された女性は、どれほど喜んだでしょうか?

 約1300年の時を超え、今でも心に素直に響く、美しい歌だと思います。
これは「相聞歌」と呼ばれる部類の歌で、主として愛し合う男女間で交わされる歌です。
「君」は男性の恋人を指し、「妹」は兄妹ではなく、女性の恋人を指します。

 亀井勝一郎は、昔、人間の言葉の中で、もっとも美しい言葉は、この相聞と辞世(死ぬ前に読む歌)だと良く言っていました。
このネタは、また話すと長くなるのですが、僕も本当にそうだと思います。
 
 しかし、風流ですねー。
「雷が鳴って恐いから、今夜は泊まって行ってよ!・・・」ではないのです(^^;。
女性は切ない気持ち、不安な気持ちをしのびながら和歌で詠んで、男性は、温かい愛を和歌で返すのです。

 美しい言葉に、多くを語るのはタブーですが、雷はもちろん「神鳴り」「鳴る神」。
万葉の時代と言えば、神代と人代の境い目です。
この美しい言葉は、まさに神の言霊として現代に残ったと思います。

この相聞の中に流れる温かいエネルギーを感じ取って、梅雨空にも、ホクホクと温まってくれれば幸いです(笑)。


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by 11846182 | 2017-06-08 00:24 | 歳時記・光の言霊

 今日はクリスマス、しかし今年は例年になく、深く静かなクリスマスを迎えています。
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 クリスマスイブが土曜日と重なったので、いつもやっているスタッフとのクリスマス会も、各自思い思いにクリスマスを楽しめるよう今年は中止。

 個人的にも、今年は身内や知り合いに病気をしたり亡くなったりした方が多く、ハラハラしたりバタバタしたり・・・・。
それに気を取られ、手を取られて、今度は思っていたように仕事がはかどらず(まあ、言い訳ですな・・・)、少しイライラしたり・・・、まあそんな1年でした。

 もちろん診療そのものは手を抜くことなく進めてきましたが、診療室のハードとソフトの充実は、今年目指していたところまで至らず・・・・。少し悔しい・・・。
今夜は、来年のリベンジを深く静かに心に誓っているところです・・・。

 ところで、実はここからが今日のメイン。
この12月中旬、縁あって京都の伏見稲荷に今年のお礼参りに行きました。
そこで、帰りにおみくじを引きました・・・。そうしたら、なんと
一番!
やったあ!縁起がいいぜえ!来年はさぞやいいことが・・・・。大大大吉やったりして?(嬉)と喜んでいたら・・・・。
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 よく見てみると、「吉凶いまだわからず、末大吉」・・・という、なんか微妙な表現。
まあ、僕がひいたおみくじ自体が大吉でないのは仕方ないにしても、なんで「一番」のおみくじが「微妙」な末吉なの???と思っていたら、中身を良く読んで納得。

 書いてあった和歌を転記してみます。
罪あらば我を咎めよ(とがめよ)天つ神、たみ(民)はわが身の生みし子なれば
ふむ。
 自分なりにわかりやすく現代語訳してみました。ふたつの意味に取れると思います。
「腹が立つ相手がいれば、私(神)を責めなさい。なぜならその相手は私(神)が生んだ子だからです。」
神を責めるなんてそんな事とてもできません!すべてを許しなさい、という事でしょう。厳しい言葉です。
 もうひとつは、「貴方が罪を犯したならば、私(神)を責めなさい、なぜなら貴方は私(神)が生んだ子だからです。」
これはありがたい言葉です。じーんと来ました。

 勝手な解釈のようですが、解説には、「万民の罪穢(つみけがれ)を背負い給う大神の御心である」と、ありました。
「神が貴方を愛しているように、貴方も、他人も自分も等しく許し、愛しなさい」、ということでしょう。

 おみくじは次のように続きます。
「何事につけ、我が子をいつくしむ心を以て、世のため人のために尽くしなさい。」
ようがす。わかりました・・・。望むところです。

 さすがにおみくじ「一番」です。来年に向けて、強く背中を叩かれたみたいな言葉を頂きました。
 どこまでできるかはわかりませんが、できるだけがんばります。努力します。努力が尽くせれば大吉、ということでしょう(^^;。きびしーい!

最後はこれを。


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コンビニケーキで、ささやかにクリスマスを祝いました。
メリークリスマス!




by 11846182 | 2016-12-25 10:49 | 歳時記・光の言霊

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 春です!ようよう日本中春です!
タイトルワードは、自由律の俳人、萩原井泉水の俳句から拝借しました。
 別に俳句が趣味なわけではないのですが、高校時代に習った中で、そのリズミカルな言葉が印象に強く残った詩です。きっと入学式に連れて行かれる小学1年生を詠んだ詩と思われます(たぶん(^^;))。

 今日(4月9日)は子供たちが通った学校も入学式。役員をしていた関係で、毎年この日には存分に桜を楽しめたのですが・・・。

 今年はその子供たちも学校を卒業し、この4月の保険改正に関わる月初の事務にも追われ、とうとうまともに桜を見る暇はありませんでした・・・( ;∀;)。

 かわりに、子供が撮るiPhoneから(iPhoneの写真機能、本当に恐るべし・・・)、春の写真を何枚か貰いました(笑)。
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そして、きわめつけがコレ!
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春ですねー(#^.^#)。
by 11846182 | 2016-04-10 01:46 | 歳時記・光の言霊

病者の祈り

大きなことを為そうとして
力を与えて欲しいと神に求めたのに
つつしみ深く従順であるように
弱さを授かった。

より偉大なことが出来るように
健康を求めたのに
より良き事が出来るようにと
病弱を与えられた。

幸福になろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧しさを授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった。

人生を楽しみたいと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
命を授かった。

求めるものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた

神の御こころにそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた。

私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ。    

-ニューヨーク大学リハビリ研究所の壁に刻まれている詩ー

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 今日、入院している知人のお見舞いに淀川キリスト教病院を訪ねたところ、美しい言葉に出会いました。あまりに美しいので、言葉を弄せず、そのまま全文を挙げました。
1階の突き当りエレベーターホールに掛けてあります。

 原文も探しました。

A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED


I asked God for strength, that I might achieve
  I was made weak, that I might learn humbly to obey...

I asked for health, that I might do greater things
  I was given infirmity, that I might do better things...

I asked for riches, that I might be happy
  I was given poverty, that I might be wise...

I asked for power, that I might have the praise of men
  I was given weakness, that I might feel the need of God...

I asked for all things, that I might enjoy life
  I was given life, that I might enjoy all things...

I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
  I am among all men, most richly blessed!


Author unknown

This creed is hung on a wall at a waiting room of Institute of Rehabilitation Medicine, 400 East 34th Street NYC.
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深く心にしみる言葉です。
by 11846182 | 2016-03-13 23:13 | 歳時記・光の言霊

 今年は駐車場に植えてある金木犀(きんもくせい)の花が満開です。
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やっと咲いたー(^▽^)(^▽^)(^▽^)/。

5~6年待ったかなあ。いますごくいい香りがしています。
by 11846182 | 2015-10-12 22:44 | 歳時記・光の言霊

「明日死ぬ覚悟で生き、永遠に生きる覚悟で学べ。」~マハトマ・ガンジー~

 まあ、俺には関係ないけどニャー。
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by 11846182 | 2015-06-22 00:15 | 歳時記・光の言霊

 それは歯です!
と、予防歯科医としてはオチをつけたいところですが、ここはカフェテラス、しかもカテゴリーは「光の言霊」。こんなギャグで落とす訳にはいきません・・・(笑)。

で、今夜の言葉は・・・・

「一生の終わりに残るものは、 我々が集めたものではなく、我々が与えたものである・・・。」

 含蓄の深い言葉です。
この言葉は、子供が読んでいた、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」の中の一文です。この本はベストセラーにもなっているようなので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

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 本文の中に引用先は書いてなかったのですが、文の流れから見て、どうも渡辺さん本人の言葉ではないようだったので、誰の言葉なのか引用先を検索してみました・・・。
すると、面白い事実が出てきました。

 もともとの引用先は、クリスチャンとして有名な、作家の三浦綾子さんの「続、氷点」の中に、「ジェラール・シャンドリ」さんの言葉として紹介されているようです。
 で、この三浦さんは、フェデリコ・バルバロという神父さんが書いた『三分の黙想』(ドン・ボスコ社)という本から引用されたらしい・・・。

 ところが、この「ジェラール・シャンドリ」さん・・・、どうも実在しないようなのです・・・。まあ、このあたりの経緯は書けば長くなるのでリンクを張っておきます。
良ければそちらもご覧下さい。
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20120405/1333595054
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000143402
 
 ま、僕に限らず、美しい言葉に当たればそれが誰の言葉か気になる人は多数いるようです(;^ω^)。いずれにせよ、キリスト教の聖職者、とまでは判るのですが、そこから先は読み人知らず・・・・。

 さて、ここまできて、ふと気が付きました・・・。
言葉にとって、誰が言ったのか?という事は本当に重要なのか、という事です。
事実、上の言葉は、結局誰が言ったのかわからないままでも、その価値は変わりません。ネットを見ていても多くの人が、この言葉に感銘を受けているのがわかります。

 世界の名言集をひもとくと、ほとんどに誰が言ったものか併記されています。
それが歴史上の偉人、聖人、著名人の言葉であればなんとなく納得します。しかし、それで本当にいいのでしょうか?言霊の持つ力に、初めから良くも悪くもフィルターをかけているのではないでしょうか?

 心からの言葉、言霊であれば、誰が言ったかに関係なく力を持っているはずです。
渡辺さんはあえて引用を併記せず、心にフィルターをかけることが無いよう配慮されたのかもしれません・・・。

 この言葉に至る数行を転記しておきます。
100ページ「歳を重ねてこそ学べる事」という単元の一番最後です・・・。

「成長も成熟も痛みを伴います。自分と戦い、自我に死ぬことを求めるからです。一粒の麦と同じく、地に落ちて死んだ時にのみ、そこから新しい生命が生まれ、自らも、その中に生き続けるのです。『一生の終わりに残るものは、 我々が集めたものではなく、我々が与えたものだ。』財産として残る日々を過ごしたいと思います。」
クリスチャンらしい言葉です。

良い本だと思います。興味のある方は読んでみて下さい。

次回は次の言葉をテーマにしたいと思います。

"You will always find what you seek."

やはり読み人知らず、です(;^ω^)。





 





 





by 11846182 | 2015-04-07 00:23 | 歳時記・光の言霊

法灯明

 今夜のカフェテラス、カテゴリーは「光の言霊」3回目です。

今日の言葉は「法灯明」。4番チェアの向かいのモニターの上に掛けてあります。
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 上の額は、恩師に頂いたものです。
前々回に触れた「抜苦与楽」の揮毫を恩師にお願いするつもりだったのですが、「抜苦与楽」ではなく、この書を書いて頂けました(;^ω^)。
教師でありながら僧籍もお持ちの恩師、やはりこの言葉も出典は仏教経典、お釈迦様の言葉です。

 この言葉は、お釈迦様が亡くなる直前に、言わば遺言で言われた言葉です。
「自灯明、法灯明」と、対の言葉になっており、前後を含めて訳をすれば、
「弟子たちよ、お前たちはおのおの自らを灯明(ともしび)とし、自らをよりどころとせよ。他を頼りとしてはならない。この法を灯明(ともしび)とし、よりどころとせよ。他の教えをよりどころとしてはならない。」
と、弟子たちに教えています。

「法」とは、いわゆる「法律」という意味ではありません、仏教用語で、自然の摂理、とか、この世の真実、という意味になります。

「何があっても自分を信じ、自然の摂理に従って物事を考えなさい」、とお釈迦様は最期に強く戒めておられます・・・。
つまり「盲信」を強く禁じていらっしゃるのです・・。

 なぜ、今回、このテーマを挙げたのか・・・、それはやはりイスラム国の事件が起きたからです。

私たち日本は、なんだかんだ言って仏教国です。キリスト教やイスラム教の事は良く知りませんが、お釈迦様が殺生を強く禁じておられるように、世のあらゆる宗教は殺生を禁じているはずです。

 そんな中、イスラム国は「盲信」という「洗脳」を行い、聖戦という名を冠して無差別殺人を行っている・・・、そんな国のような気がしてなりません。

 「法灯明」。お釈迦様は仏教を皆に教えられた上で、さらにその上で、物事を盲信せず自分で正しく考えるよう教えておられます。
私たちは、何事においても、常にこの思いを忘れず、暮らして行きたいと思います。

今後も、世界が平和であることを祈りたいと思います。








by 11846182 | 2015-02-22 00:20 | 歳時記・光の言霊


ぺぺです。ここでひと息、コーヒーブレイク。堺市の山本歯科医院のブログです。